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高松地方裁判所 昭和57年(ヨ)104号 決定

債権者 岡好孝外三名

債務者 学校法人倉田学園

主文

一  債務者が債権者柳井博に対し、昭和五七年三月三一日付でなした非常勤講師に降職する旨の意思表示の効力を停止する。

二  債権者岡好孝、同草野晃及び同中村益夫の本件各申請並びに債権者柳井博のその余の申請をいずれも却下する。

三  申請費用は、債権者岡好孝、同草野晃及び同中村益夫に生じた費用と債務者に生じた費用の四分の三を債権者岡好孝、同草野晃及び同中村益夫の負担とし、債権者柳井博に生じた費用と債務者に生じたその余の費用を債務者の負担とする。

理由

第一  債権者らの本件申請の趣旨及び理由は、別紙一の一、二記載のとおりであり、債務者の答弁及び主張は、別紙二の一、二記載のとおりである。

第二  当裁判所の判断

一  当事者及び降職の意思表示

当事者間に争いのない事実及び疎明資料によれば次の事実が認められる。

1  債務者は、昭和二六年三月一四日設立された学校法人であつて、肩書地に所在し、同地に香川県大手前高等学校及び同中学校(以下これら丸亀市所在の二校を総称して「丸亀校」という。)を設置し、また昭和三二年四月から香川県高松市室新町一一六六番地に分校を設置し、これを昭和四八年四月から香川県大手前高松高等学校及び同中学校(以下これら高松市所在の二校を総称して「高松校」という。)と称して独立させ、それぞれの学校で教育の事業を行つている。

2  (一) 債権者岡好孝(以下「債権者岡」という。)は、昭和四六年三月、早稲田大学社会科学部を卒業し、在学中の教育実習に際して指導を受けた香川県綾歌郡綾南町立綾南中学校の校長から紹介されて、同年四月、高松校の社会科教諭として採用され、高校の日本史等の教科を担当していた。

(二) 債権者草野晃(以下「債権者草野」という。)は、昭和五一年三月、広島大学文学部史学科を卒業して、同年四月、高松校の社会科教諭として採用され、高校の世界史及び中学の歴史等の教科を担当していた。

(三) 債権者中村益夫(以下「債権者中村」という。)は高松校を経て昭和四七年三月神戸市外国語大学英米学科を卒業して、翌昭和四八年四月、高松校の英語科教諭として採用され、英語の教科を担当していた。

(四) 債権者柳井博(以下「債権者柳井」という。)は、昭和五一年三月東北大学理学部を卒業して、同年四月、高松校の数学科教諭として採用され、数学の教科を担当していた。

なお、債権者らは、いずれも昭和五二年九月一〇日、高松校教職員により結成された香川県大手前高松高等(中)学校教職員組合(以下「組合」という。)の結成当時からの組合員であり、債権者岡は、昭和五二年度、昭和五五年度及び昭和五六年度に組合書記長、昭和五四年度には副委員長を、債権者草野及び同柳井は執行委員を、債権者中村は昭和五四年度に組合書記長をそれぞれ勤めたものである。

3  債務者は、債権者らに対し、昭和五七年三月三一日付をもつて、それぞれ教諭から非常勤講師に降職する旨の意思表示をなし(以下「本件降職処分」という。)、翌四月一日以降債権者らを非常勤講師として取り扱つている。

二  本件降職処分の効力

(債権者岡及び同中村)

1 債務者主張の高松校就業規則(以下「本件就業規則」という。)所定の懲戒事由の存否について検討する。

(一) 疎明資料によれば、本件降職処分に至る経緯として次の事実が認められる。

(1) 高松校においては、昭和五五年度ころから生徒の服装の乱れや遅刻が目立ち始め、生徒指導部会を中心にして職員会議でも右の問題について議論がなされていたところ、高松校校長倉田康男(以下「倉田校長」という。)は、その対策として昭和五六年四月三日開催の同年度最初の職員会議の席上において、最近生徒の服装が乱れていることを述べたうえで同年度の校務分掌表(各職員の校務担当分掌を定めたもの)を発表すると同時に、同表で生徒指導部の生活指導係(校内担当)に指名された債権者岡、同中村、小松弘(以下「小松」という。)及び大町幸子(以下「大町」という。)の四名中、女性で養護教諭である大町を除いた三名に対し、「当分の間、毎朝八時一五分から玄関前で登校時の生徒指導をしてもらう。」旨指示命令した(本件就業規則一五条には、職員の始業時間は午前八時三〇分と定められており、右命令は一五分繰り上げとなる。以下「本件命令」という。)。これに対し、債権者岡及び同中村は、こもごも「突然言われても困る、もつと前に相談して欲しい。」などと異議を申し出たが、倉田校長は何の返答もせず、代りに高松校教頭吉田和美(以下「吉田教頭」という。)が「更に発言があれば後にして欲しい。」旨発言して次の議題に進み、その場はそれ以上やり取りすることなく終つた。

(2) 一方、生徒指導部は、同年四月九日開催の部会において、同月一三日から一八日までの期間、輪番制で毎朝午前八時一五分から同九時四〇分まで玄関前で服装指導等を行うことを内容とする昭和五六年度四月生徒指導(校内)計画を作成してこれを実施したほか、年間を通じた生徒指導部全員の輪番制による集団指導体制の確立を決定した。しかし、同方法をとることについて倉田校長の承認はえられなかつた。

(3) ところが、債権者岡及び同中村の両名は、倉田校長の本件命令に従わず毎朝午前八時一五分からの服装指導を行わなかつた(ただし、右両名とも前記のとおり生徒指導部会が独自に作成した輪番表に従い玄関前で生徒指導にあたつたことはある。)ので、倉田校長は、同年五月一日と同月六日の両日、債権者岡に対し、「何故指示に従わないのか。」と詰問したところ、同債権者は、「四月の職員会議で異議が出たからそのままになつており、留保されているはずだ。自分には毎朝子供を学校に送る仕事もあるし、学校側で勝手にそんなことをされては困る。」などと述べた。

更に、倉田校長は、同年五月一九日、今度は債権者中村を校長室に呼び、同じく指示に従わない理由を詰問したところ、同債権者は、「四月の職員会議で留保されていたはずだ。事前に相談もなく、一方的に就業時間を変更されるのは個人的な事情もあつて大変困る。」などと返答したが、その際、倉田校長は、同債権者に終業時間は一五分繰り上がつて午後五時になる旨告げた。

(4) これに対し、組合は、一方的な勤務時間の変更は労働条件の変更にほかならないから、債務者側に団体交渉の申入れをしたところ、債務者側は団体交渉にはなじまないとしてこれを拒否した。そこで、組合はこれを執行部に対する弾圧ととらえ、同年五月二七日命令拒否の機関決定をした。

そして、債権者両名は、従前どおり倉田校長の本件命令に従わず玄関前での服装指導は全く行わなかつた。

(5) そこで、倉田校長は、債権者岡及び同中村の両名に対し、同年七月八日、校長の業務命令に反したという理由により警告書を発し、更に同年八月四日付で六日間の出勤停止処分(同月五日より同月一〇日まで)にしたが、その後も生徒指導主事の野口尚志(以下「野口主事」という。)を通じての注意にもかかわらず依然として本件命令に従わなかつたので、昭和五七年三月三一日付で本件降職処分をなした。

なお、小松は本件命令に従い昭和五七年三月まで玄関前で服装指導にあたつた(債権者岡は小松が昭和五六年六月ころから翌昭和五七年三月まで玄関前での服装指導を行つたことは認めている。)。

(二) ところで、債権者岡及び同中村は、勤務時間帯の変更は、労働契約の内容の一部変更にかかわる事柄であるので、もともと使用者の一方的な命令でなしうるものではないところ、本件の場合、就業規則一五条但書に即してみても、一方的変更の許される範囲をはるかに超えている旨主張するので、以下その点について検討する。

疎明資料によれば、本件就業規則一五条本文において職員の一日の勤務時間が規定されており、同条但書において「当校の都合により全職員又は一部職員の勤務につき基準勤務時間の範囲内で、始業終業の時刻及び休憩時間を変更することがある。」旨規定されていることが認められる。然して、右但書の規定は、その文言上からも校長の一方的命令で勤務時間帯の変更をなしうる場合があることを当然予想しているものと解するのが相当である(この点は債権者中村に対する審尋で同債権者も認めているところである。)が、問題は倉田校長の本件命令による勤務時間の変更が、右但書の予想し許容する範囲内にあるといえるかどうかである(倉田校長は前記認定のとおり本件命令は「当分の間」であると述べているが、疎明資料によれば、同校長自身、校務分掌が毎年改められる関係上、特に途中で打切りの命令をしない限り最大限一年間の趣旨で述べたというのであり、命令を受けた債権者岡及び同中村も同趣旨に受け取つていることが認められるから、本件命令は一年間を通じてなされたものであることを前提にして以下検討する。)。

そこで前記認定の事実に基づき考察するに、本件命令は、前年度の昭和五五年度ころから高松校の生徒の服装の乱れが目立ち始め、それが問題化したことから、その対策として発せられたものであつて、その当時服装指導の必要性があつたことは否定できず、債権者両名が主張するごとく倉田校長において組合員である債権者両名を弾圧するため、昭和五六年度の校務分掌を決定するに際し、生徒指導部の生活指導係(校内担当)に債権者両名を配属し、本件命令を発したことを認めるに足りる疎明はないこと(なるほど疎明資料によれば、「組合に対する姿勢として徹底的に差別待遇し、対組合方針として皆のいやがること」などと記載された吉田教頭作成のいわゆる吉田メモの存在は認められるけれども、吉田教頭が右メモを作成した状況は明らかでなく、同人が組合弾圧の目的で右メモを作成したことを認めるに足りる的確な疎明はなく、したがつて、右メモの存在から本件命令が組合員である債権者両名に対するいやがらせの目的でなされたものと推認することはできない。)、また、本件命令の内容は債権者両名と小松の三名が一年間毎朝一五分早出して玄関前で服装指導を行うというものであるところ(終業時間も一五分繰り上がる。)、確かに一年間というのはやや長すぎるきらいはあるものの右服装指導というものの性格、必要性からしてある程度長期にわたる継続的指導が必要であると考えられるし、始業時間の繰上げも一五分にすぎないから、本件命令が著しく苛酷な内容の業務命令であるとは認め難いし、その内容が不鮮明であるともいえないこと(なお、服装指導の方法として前記のとおり生徒指導部会の決定した生徒指導部全員による集団指導体制で行うということも十分考えられるのであるが、いかなる方法により実施するかは命令権者の合理的な裁量に委ねられているというべきであつて、本件命令が右裁量権の濫用、逸脱とみられるような社会通念上不相当な内容のものであるとは認め難い。)、更に、債権者両名は、本件命令に従つて毎朝午前八時一五分から同八時四〇分まで服装指導を行うことにより職員朝礼に出席できなくなること、時間割係の仕事と重復すること、毎朝子供の送り迎えをしなければならない家庭の事情があること等の不利益をこうむると主張するが、右各事由と疎明資料により認められるそれに対する債務者の対応の状況等をみると、債務者の職員として本件命令を受けながらそれを拒否するのも己むを得ないというべき社会的相当性や客観的緊急性があるものとは認め難いこと等を総合勘案すれば、本件命令には十分合理性があるものと認められ、したがつて本件就業規則一五条但書の許容範囲内であるというべきである。

(三) そうすると、本件命令は有効というべきであるから、それに従わなかつた債権者岡及び同中村の行為は業務命令違反といわざるをえず、本件就業規則六八条五号、九号及び一〇号の懲戒事由(なお、出勤停止処分時以前の業務命令違反行為については、次の懲戒処分をなすについての情状の一つとして考慮することはできても、新たな懲戒処分の直接の事由とすることは一事不再理の法理に照らして許されないものと解するのが相当であるから、右出勤停止期間終了後から本件降職処分時までの債権者両名の業務命令違反行為が懲戒事由になるというべきである)に該当するものというべきである。

2 次に、債権者岡及び同中村は、本件降職処分が懲戒権の濫用に該当する旨主張するので、以下この点につき検討する。

ところで、使用者の懲戒権の行使は、当該具体的事情の下において、それが客観的に合理的理由を欠き社会通念上相当として是認することができない場合に初めて権利の濫用として無効になると解するのが相当である(最高裁昭和五八年九月一六日第二小法廷判決・労働判例四一五号一八頁参照)。

これを本件についてみるに、当事者間に争いのない事実及び疎明資料によれば本件降職処分は教諭から講師の身分(本件就業規則上は常勤講師と非常勤講師の区別は規定されていないが、本件の場合は非常勤講師に降職された。)に降職した(本件就業規則上、地位のみならず身分の変更も降職処分に含まれると規定されている。)ものであるところ、非常勤講師は給与体系も教諭とは別個であり(授業一時限あたり一八〇〇円の時間給)、かつ、契約期間も一年間であり、更新請求権はないことが認められ、このような本件降職処分がなされることにより、債権者両名は、一年経過後債務者の意思によつて更新がされない限り、雇用関係を終了させられるものであつて、これらの債権者に及ぼす影響を考慮すれば、本件降職処分は、形式上降職とはいうものの、実質的には懲戒解雇に準ずる相当重い処分であるといわざるをえない。

しかしながら、債権者岡及び同中村は、前記認定のとおり本件命令を受けて以来、生徒指導部会企画の服装検査には参加するも校長からの命令には従おうとしなかつたもので、債務者側から注意、警告、出勤停止処分と度重なる反省の機会にも態度を改めず、右処分ののちもなお本件命令が続いているにも拘らずかたくななまでに従来の態度を変えなかつたものである。これらの態度が高松校におけるこれまでの対立した労使関係、とりわけ双方の間で腹蔵なく話合える場がないことに基因することは容易に推測しうるところではあるが、労使関係の対立を生徒への指導教育の場に持ち込むべきではなく、前記認定のような服装指導の重要性、必要性に鑑みれば、右債権者らは、まず高松校教諭として、校長の命令による服装指導に当たるべきであり、これに違反した責任は大きいと言わざるを得ない。校長としても職務命令を出すに際して債権者らが自己に対立する組合活動家であることのゆえをもつてことさら不利に扱う意図をもつてなすことは、厳に戒しめられるべきであるが、本件では前記のとおり校長が右の意図をもつて本件命令に及んだと証明されない以上、債権者らの行為は、本来従うべき職務命令を無視し、職場の規律及び秩序を乱したものとの評価を受けても己むをえないものである。

以上の点に、疎明資料から認められる債権者両名の過去の処分歴を併せ考慮するならば、債務者の側にも本件命令の下し方、その後の対応等につき若干配慮を欠いた点があることを考慮に入れても、学園秩序の維持のためになされた本件降職処分が、客観的に合理的理由を欠き社会通念上相当として是認することができない場合に該当するとまでは認めることができない。

そうすると、本件降職処分が懲戒権者たる債務者の権利の濫用による無効な処分とみることはできないものというべきである。

3 不当労働行為の主張について

債権者岡及び同中村の両名がいずれも組合の中心的活動家であることは前記認定のとおりである。

しかしながら、右両名に対する本件降職処分の理由は前記認定のとおりであつて、右理由が形式的なものであり、処分の決定的理由が右債権者両名が組合員であることの故であると認めるに足りる疎明はない(いわゆる吉田メモについては前記説示のとおり、債務者の組合弾圧の意図を表現したものと認めるに足りる疎明はない。)から、右債権者両名の主張は採用することができない。

4 以上の考察によれば、債権者岡及び同中村に対する本件降職処分は有効なものと解するのが相当である。

(債権者草野について)

1 疎明資料によれば、本件降職処分に至る経緯として次の事実が認められる。

(一) 債権者草野は、昭和五一年四月に高松校に着任した当初より、同校バドミントン部の顧問として、部活動の指導をするとともに、昭和五二、三年ころから年二回「NET・IN」と題する部誌を発行して部員らに配布していた(発行につき学校側の許可は得てない。)。

(二) 学校側は、当初右「NET・IN」の存在を知らなかつたが、昭和五六年八月二一日に倉田校長が「NET・IN」七号(以下「本件部誌」という。)を入手して初めて部誌の存在を知るところとなつた。

(三) ところで、本件部誌は、昭和五六年七月に発行されたもので全一四枚で構成されており、一部部員である生徒が書いている箇所を除き債権者草野が執筆したものであるところ、倉田校長は、債権者草野が学校側に無断で部誌を発行したこと及びその内容に問題があるとして、吉田教頭を通じて同債権者に今までに発行した「NET・IN」全部を提出するよう指示した。

(四) 倉田校長は、同年九月八日、債権者草野を校長室に呼び、既に入手していた本件部誌を示して質問したうえ、同誌一枚目「六年制のメリツト?デメリツト?」以下二枚目にかけて、倉田校長がバドミントン部の生徒に対して行つた個人指導の内容を無断でしかも一方的な立場から公表し、業務上の秘密を漏らしたこと、学校側の方針である六年制一貫教育を批判するかのごとき記事を掲載していること、また、学校側の人事政策に反対であるかのようなことを標語のようにして書いていることその他数箇所を問題点として指摘して注意し、始末書を今週中に提出するよう指示した。そして、その後同年九月二一日までに二度吉田教頭を通じて始末書の提出を催促したが、債権者草野はこれに応じなかつた。

(五) そこで、倉田校長は、同年一二月一一日、債権者草野に始末書を出すよう再度指示したが、同債権者は、「別に悪かつたとは思わないので出さない。」と言つてこれに従わなかつたので、昭和五七年三月三一日付で同債権者に対し本件降職処分をなした。

2 そこで、債務者主張の本件就業規則所定の懲戒事由の存否について検討する。

(一) 債権者草野が昭和五六年七月高松校部活動顧問の立場を利用して本件部誌を債務者に無断で発行し、高松校生徒及び父兄に配布したとの点について

疎明資料によれば、本件就業規則一四条一二号には「書面による許可なく、当校内で業務外の指示をし、若しくは図書又は印刷物等の頒布あるいは貼布をしないこと。」と規定されていることが認められる。

ところで、学校の認める正規の部活動(文部省の指導要領の中に位置付けられているクラブ活動とは別である。)を顧問として指導することが、教諭の業務の範囲内であることは明らかであり、したがつて、右指導の一環として部誌を発行することも右と同様業務の範囲内であるというべきである。してみれば、いわゆる部誌は、他の目的に利用するために部誌という形式に仮託して発行した場合等特段の事情がある場合を除き原則として業務文書であり、前記「書面による許可」を要しないものであるといわなければならない。

ところで、これを本件についてみるに、本件部誌のうち債権者草野の執筆部分は、後記のごとく業務上の秘密を漏洩し、かつ、学校の教育方針を公然と批判しているものといわざるをえないのであつて、これを全体的にみれば業務文書とは認め難いものというべきである。

そうすると、債権者草野が本件部誌を債務者の許可なく無断で発行したことは前記認定のとおりであるから、本件就業規則六九条七号の懲戒事由に該当するものというべきである。

(二) 債権者草野は本件部誌において、業務上の秘密を漏らし学園の教育方針を公然と批判し、かつ、学園の信用を傷つけたとの点について

(1) 疎明資料によれば、次の事実が認められる。

イ 高松校においては、従来より生徒の対外試合への参加は、中学より入学し高校三年まで在学するいわゆる六年制コースの生徒については高校一年まで、高校一年より入学し高校三年まで在学するいわゆる三年制コースの生徒については高校二年までという方針で運営しており(特に規則は制定していない。)、例外的に大学入試の際専ら体育学部を志願する者の場合にのみ、その便宜を図つて対外試合への参加時期を延長する特例を認めていた。

ロ ところで、昭和五六年四月二〇日ころ、債権者草野から香川県協会杯バドミントン大会に参加する生徒名を記載した許可申請書が提出されたが、その中の一人に六年制コースの高校二年の女子生徒の名が入つていた。これを見た倉田校長は、これまで右女子生徒は医学部志望である旨聞知していたので、同女の担任である森本教諭を通じて事情を聴取したところ、同女の両親は医学部に進学させたい意向だが、本人が試合に出たいといつてきかないということであつた。

ハ そこで、倉田校長は債権者草野及びクラブ活動の係である杉谷教諭の両名を呼び、過去にも体育系大学に進学するといいながら結局進学せず、前記学校の方針を破つた例もあるので、こういうことは普段からもつと生徒を正しく指導するよう注意したところ、同債権者は、「今回はともかく試合に参加させてやつて欲しい。」旨主張して譲らなかつた。

ニ その後、倉田校長は、面会に来た前記女生徒に対し、「体育学部志望といつていながら後になつてそうでないといつても内申書は書かない。」趣旨の発言も混じえて同女を指導、説得したところ、後日になつて右女生徒が森本教諭に対し「冷静に考えると、自分が今まで意地になつていたことがはつきりした。今後は対外試合には出ずに勉強に専念したい。」旨語つたことを同教諭から報告を受けた。

以上の事実を前提に考察するに、倉田校長が前記女生徒に対して行つた個人指導の内容は、前記学校の方針とも関連する極めて微妙な問題を含んでおり、しかも生徒個人のプライバシーの問題もあるので、その内容の是非はともかくとして、本来こういう形で一般に公表すべき事柄ではなく、業務上の秘密に属する事項であるといわざるをえない。

(2) 疎明資料によれば、高松校においては、昭和三二年の開校以来大学への進学志望者のみを入学させ、中学・高校を通じて、六年制の一貫教育を行うことを指導の特色として打ち出し、入学案内等にもそのことを明記して生徒募集に力を入れていたこと、したがつて、放課後の部活動も勉学優先でむしろ体力養成に重点をおいたものであり、それ故前記のとおり「六年制コースの部活動については、対外試合への参加は高校一年までとする。」との方針で運営していたことが認められる。

しかるに、疎明資料によれば、債権者草野は、本件部誌において、「六年制のメリツト?デメリツト?」という標題のもとに、その是非を父兄に問い、かつ、前記の校長の女子生徒に対する個人指導に関連して「この問題は『ある学年に達すると、大会出場はできない。しかし、クラブ活動は高三までやつても構わない』という内規から派生してできたものですが、顧問としては、活動を認めてくれるなら大会出場も許可してくれればいいのにと思つているのですが……。」などと述べていることが認められ、右はいずれも学園の教育方針を批判した記事であるといわれても己むをえないところである。

更に、疎明資料により認められる本件部誌の二枚目の「今夏からクラブ活動に制約」という標題以下の記述並びに疎明資料によれば、元バドミントン部の顧問であつた稲葉武志教諭(以下「稲葉教諭」という。)が昭和五六年四月に丸亀校に転任したことに関連して、同三枚目に「稲葉先生早くもどつて来て下さい」と標語的な記載があり、また同一四枚目の住所録に現バドミントン部顧問の債権者草野と並んで稲葉教諭の住所氏名等の記載があることなどが認められるところ、右記述もやはり債権者草野が学園の方針及び人事政策を批判する趣旨で書いたものといわざるをえない(債権者草野が主張するごとく、生徒らの気持を表現したものと認めるに足りる疎明はない。)。

債権者草野は、仮にこれらの記載内容が学園の方針に対する批判にあたるとしても、批判を許さないとするのは独善以外の何ものでもない旨主張する。しかしながら、他の適切な方法で討議、批判するならばともかく、本件のように部顧問という立場を利用して、生徒や父兄をその対象として発行、配布する部誌上に、学園の基本方針を批判する記事を登載して学園批判をする自由はないものといわなければならない。

そして、債権者草野が前記のとおり高松校の教諭並びに部顧問という立場において学園の基本的方針を批判したことにより、対外的な学園の信用を傷つけたことは明らかである。

(3) そうすると、債権者草野の前記行為は本件就業規則六八条二号、六九条四号、五号、一〇号の懲戒事由にも該当するものというべきである。

3 次に、債権者らは、本件降職処分が懲戒権の濫用に該当する旨主張するので、以下この点につき検討する。

ところで、およそ私立学校というものは独自の校風、教育方針を持ち、かつ、それを学校の特色として生徒募集の際の宣伝にも利用しているのであつて、これらを承知の上で雇用関係に入つたものは、学校の定める諸規則、教育方針に従うのはむしろ当然のことであるといわなければならず、これに批判的見解をもつものは、適切な方法によりこれが検討是正を求めるのは格別、これを本件のごとき態様で批判することは許されないものというべきである。

そして、高松校における六年制一貫教育というのは、債務者にとつては学校教育及び経営の根幹にもかかわる事項であり、債権者草野がそのことを熟知しながら、あえて前記のような方法で批判したのは、債務者の教育方針に反する態度の表現とみざるをえず、また前記のとおり校長の個人指導の内容を公表することは生徒への影響をも考慮すると教師としては許されない行為であるといわざるをえないから、前記のとおり本件降職処分が懲戒解雇に準ずる重い処分であることを考慮しても、右処分が客観的に合理的理由を欠き社会通念上相当として是認することができない場合に該当するものと認めることはできない。

そうすると、本件降職処分が懲戒権者たる債務者の権利の濫用による無効な処分とみることはできないものといわなければならない。

4 不当労働行為の主張について

債権者草野が組合の執行委員であることは前記認定のとおりである。しかしながら、同債権者に対する本件降職処分の理由は前記認定のとおりであつて、右理由が形式的なものであり、処分の決定的理由が同債権者が組合員であることの故であることを認めるに足りる疎明はないから、同債権者の主張は理由がない。

5 以上の考察によれば、債権者草野に対する本件降職処分は有効なものと解するのが相当である。

(債権者柳井)

1 債務者主張の本件就業規則所定の懲戒事由の存否について検討する。

(一) 高松校においては、各教科担当者は、年次有給休暇等で事前に欠講時間用の教材を準備することになつていたところ、債権者柳井は、教頭及び教科主任の指示に対して故意に従わず、欠講予定時間のための教材準備を怠つたまま欠勤したとの点について

(1) 疎明資料によれば、次の事実が認められる。

イ 債権者柳井は、昭和五六年一〇月二四日、吉田教頭に対し、同月三一日及び同年一一月二日の両日年休をとることの承認申請書を提出した。

ロ ところで、高松校においては、従前より教員が年休等をとる際は、テスト用プリント等の自習教材を事前に作成準備させるかあるいは時間割を変更し、振替授業をさせることにしていたので、吉田教頭は、「平常日である同年一一月二日の授業について課題の準備をするか小テストの計画を立てておくように。」と指示した(債権者柳井の当日の受持は、高一の四組の一時限と高三の五組の六時限であつた。)。しかるに、債権者柳井は「課題を準備するのは自分の義務ではない。年休をとるのは私の権利で後始末は学校の責任である。」という趣旨の発言をしてこれを拒否した。

ハ その後、吉田教頭が数学科の主任教諭を通じて更には倉田校長自ら債権者柳井を指導したものの、同年一〇月三〇日になつても同債権者は右の準備をしていなかつたので、吉田教頭は再度同債権者から事情聴取をしたところ、「高一の四組にはプリントの準備をするが、高三の五組は特に課題は与えず自習とする。」旨回答した。

そこで、吉田教頭は、高三の五組についても課題を準備するよう注意したところ、債権者柳井は、「高三の五組は受験に数学が必要な生徒は少ないので課題を与えるより自由に自習させた方が効果的である。クラスの現状からみて数学の課題を与えてもやらないだろうから無駄なことである。」などと述べて押問答となつた。

ニ そして、結局同年一一月二日は、高一の四組の一時限にテストを行つたものの、高三の五組の六時限は単に自習が行われたに止まり、自習教材はついに作成されなかつたので、倉田校長は、同月四日、債権者柳井を呼んで注意、指導を行つたが、同債権者は「プリントの作成は義務付けられていない。」などと言つて謝罪しなかつた。

(2) 以上認定の事実に基づき考察するに、およそ高等教育及び専門教育を施すことを目的とする高等学校においては、生徒に対する授業は学校の事業中重要な地位を占めているというべきであるから、仮に年休等により休講にし振替授業等も行わないような場合には、事前に教材を準備するなどして漫然と自習名目で時間を徒過しないようにする配慮が望ましいというべきである。そして、前記認定のとおり、高松校においてもそのような方針が従来とられていたというのであり、吉田教頭もその方針に従い債権者柳井に具体的に教材を準備するよう指示しているのであるから、同債権者はそれに従う義務があるものといわざるをえない。

債権者柳井は、教育に携わる現場教師の実情を踏まえた指導方針に学園側が無定見に介入することは慎むべきであり、年休等で予め予定されている欠講については、その担当教師が適当な教育的課題を与えてゆくのが常であつて、その方法はプリントに限定されているわけではない、同債権者は、欠講時間の課題についてクラスの現状を考慮して与えており、その責任は十分に果たしている旨主張する。

しかしながら、学園側が各教師の授業内容、方法、欠講時の課題の内容等具体的事項にまで踏み込んで指示をすることが許されるか否かについては確かに問題があることは否定しえないが、本件のように欠講時に予め課題を準備するよう指示することは、前記のとおりむしろ望ましいことであつて不合理な命令とはいえない。そして、債権者柳井は、前記のとおり吉田教頭の指示に従わず、高三の五組の授業について漫然と自習を命じたのみで、何ら課題の準備をしなかつたのであるから、同債権者の右行為は、本件就業規則六八条九号、六九条一〇号の懲戒事由に該当するものというべきである。

(二) 債権者柳井は、昭和五六年一一月一五日日直当番に当たつていたところ、所定時刻の午前八時三〇分より遅れて午前九時二〇分ころ登校したとの点について

疎明資料によれば、高松校においては従来教員による日曜日直をさせていたが、その日直時間は午前八時三〇分より午後五時までと指定されていたこと、ところが、昭和五六年一一月一五日の日直当番に当たつていた債権者柳井は寝過ごしたことにより所定時刻より遅れて登校し、午前九時二〇分ころ職員室に現れたのを見とがめた倉田校長から注意を受けたことが認められる(なお、従来午前九時前後に登校する慣行があつたことを認めるに足りる疎明はない。)。

以上認定の事実によれば、債権者柳井の右行為が本件就業規則六八条五号の懲戒事由に該当することは明らかである。

(三) 債権者柳井が債務者に無断でアンケート用紙を作成して生徒に配布し、ホームルームの時間を利用して生徒をして調査事項を記入せしめて回収したこと、右の件につき校長よりアンケート用紙を提出し、かつ、右アンケートの内容や使用目的について説明を求めたのに応じなかつたとの点について

(1) 疎明資料によれば次の事実が認められる。

イ 債権者柳井は、昭和五六年度は高一の二組の副担任をしていたが、主担任の福家教諭と相談の上、生徒の実態や意識を正確に把握して、次年度からのクラス運営の基礎資料にするため高一の二組だけでアンケートの実施を企図したところ、右発案に賛同したほか数名の教員と共同で原案を作成し、各学級担任の責任でそれぞれアンケートを実施することにした。

ロ そして、昭和五七年三月八日の三校時(午前一〇時五〇分から午前一一時四〇分まで)に行われたホームルームの時間中に、高一の二組ないし四組と高二の二組ないし五組において、クラスの生徒全員を対象にしたアンケートを行い(以下「本件アンケート」という。)、全体の集約は債権者柳井がすることになつた。

ハ 然るところ、右の事実を耳にした倉田校長は、関係各クラスの主担任若しくは副担任を校長室に呼んで事情聴取し、更に同年三月二三日に債権者柳井を呼んで事情聴取したところ、同債権者は、学校側に無断で本件アンケートを実施したことを認めた。そこで、倉田校長は、同債権者に対し、生徒が記入したアンケート用紙を提出するよう命じたが、この時既に高一の二組のアンケート用紙は同債権者が集計した上で主担任の福家教諭に渡していたので、「主担任の福家先生と相談してみる。」と回答した。

ニ そして、同年三月二五、六日ころ全体の集約結果が出たので、問題点を分析した上でその集約結果を倉田校長にも見せるつもりでいたところ、その前の同年三月三一日付で本件降職処分がなされたため結局提出しなかつた。

(2) 以上認定の事実に基づき考察するに、本件アンケートの目的は前記認定のとおりであり、その目的において正当なものと評価することができる(債務者の立証によるも本件アンケートの実施が他に格別の意図をもつてなされたと認められるものはない。)し、疎明資料により認められるその内容も特段生徒に悪影響を及ぼし学園の業務を阻害するものが含まれているものとも解されない。

また、ホームルームの時間というのは、本来各クラス毎に問題点を討議することなどによつて生徒の人格面の教育を行う場であると解されるところ、その時間に何をするかというのは、右ホームルームの性質上、各学級担任の裁量に委ねられている部分が大きいものといわなければならない。したがつて、ホームルームの時間を利用して前記のごとき内容の本件アンケートを実施したからといつて、債務者主張のように職員の身分を濫用して私事のアンケートを実施し、本来のホームルームを阻害したとまでは認められないところであるし、また、前記のとおり本件アンケートを教育活動の一環としてみるならば、本件アンケート用紙が業務外文書であるともいえないところである。

更に、前記認定のとおり債権者柳井は、倉田校長の事情聴取に対し、事実関係を認める旨の発言をしていること、また本件アンケートの集約結果を提出するつもりでいたところ、その前に本件降職処分がなされたことなどに照らせば、債権者柳井が業務上の命令又は指示に違反したとまでは認められない。

そうすると、結局本件アンケートの実施及びその後の対応に関しては債権者柳井に債務者主張の懲戒事由はないというべきである。

(四) 債権者柳井は、学園の再三の指示に反して、出勤簿への捺印をしばしば長期にわたつて怠つたとの点について

疎明資料によれば、債権者柳井は、しばしば数日から数十日単位で連続して出勤簿の捺印を怠つていたもので、吉田教頭はほとんど毎月同債権者の出勤簿の頁に注意書をした紙片をはさみ、かつ、口頭で捺印をするよう注意してきたが、同債権者はこれを遵守しなかつたことが認められる。

以上認定の事実によれば、債権者柳井の右行為が本件就業規則六八条七号、九号の懲戒事由に該当することは明らかである。

なお、疎明資料によれば、出勤簿に捺印していなくとも、学校側の方で出欠の有無を把握していることが認められるから、債権者柳井の右行為により特に学校の業務を阻害したものとまでは認められず、本件就業規則六八条一〇号の懲戒事由には該当しない。

(五) 債権者柳井が学期毎に提出すべき「学習指導計画・実施記録」の提出を怠り、催促により提出することがあつても、その内容が乱雑かつ不備なままであつたとの点について

(1) 疎明資料によれば次の事実が認められる。

イ 従来、高松校においては、各教科担当者について、自己が授業を担当しているクラスの授業の進度や状況を記録させて(学習指導計画及び実施記録、以下二つを総称して「進度表」という。)、学期毎に提出させ、校長がこれを検閲することになつていた(学習指導計画については各学期の始め、実施記録については各学期の終りころ提出することになつていた。)。

ロ ところが、債権者柳井は、昭和五六年度の一学期終りに提出すべき実施記録と二学期の始めに提出すべき学習指導計画の提出を怠り、しかもようやく二学期末に提出した進度表は、昭和五六年度一学期分について毎週の反省記録欄はほとんど空白、一学期全体の進度や学習指導上の感想、意見欄への記入は皆無という状況であつた。

ハ そこで、倉田校長は右進度表に注意書を記載して債権者柳井に返戻した。

(2) 以上認定の事実を前提に考察するに、疎明資料によれば、進度表の意義、目的は、当該教師が各受持授業の進度をどのように計画し、実施したかまたその進度の反省と記録並びに学期毎の指導時間数の累計と学習指導上の感想、意見更に年間を通じての学習指導実施上の感想と意見を求めるものであり、それを教科主任、教頭及び校長がそれぞれ学期毎に検閲することによつて、学校側の授業の進行管理に資する機能を有しているものと認められるから、債権者柳井が主張するように単に教師が指導計画作りに使用するメモ的性格のものであるとは認められない。

してみれば、前記のとおり進度表の提出を怠り、かつ、遅れて提出した進度表についても乱雑、不備な記載をした債権者柳井の行為は、学校の業務を阻害したものといわざるをえず、本件就業規則六八条七号、九号、一〇号の懲戒事由に該当するものというべきである。

(六) 債権者柳井の担当する授業は、教室内が騒がしく、生徒の管理が不十分であり、校長が注意しても同債権者は反論に終始して反省の態度がみられなかつたとの点について

(1) 疎明資料によれば、次の事実が認められる。

イ 倉田校長は、昭和五四年四月の校長就任当時から全校の職員生徒に授業中は静粛にして私語を慎むようにと指導してきたが、昭和五四年九月五日校内を巡回中、四校時の債権者柳井が担当する中二の数学の授業が騒がしかつたので入室したところ、同債権者は生徒たちが自由に話せなくなるとしてこれに抗議した。

ロ 更に、昭和五五年九月一六日同じく倉田校長が校内を巡回中、六校時の債権者柳井が担当する高二の六組の数学の授業で教室内が騒がしかつたので入室したところ、同債権者は「黙つて入つてこられては困る。」などと抗議した。

そこで、倉田校長は、同日の放課後債権者柳井を校長室に呼び注意したところ、同債権者は「突然教室に入つてこられたのでは授業がやりにくい、参観されるなら前もつて知らせて欲しい。」などと反論した。

ハ その後、倉田校長は、昭和五六年三月一七日高二の五組の五校時の授業及び同年七月一四日高一の四組の債権者柳井の担当する授業が騒がしいということで、同年七月一五日同債権者に職員朝礼のあと口頭で注意した。

(2) 以上認定の事実によれば、確かに債権者柳井の担当する授業が騒がしかつたことは認められるが、それが純然たる生徒の私語によるものかどうかは必ずしも明らかではなく、また仮に私語によるものとしても他の教師が担当する授業と比べて学校の業務を阻害するほどに著しく騒がしかつたものと認めるに足りる疎明はない。そうすると、債権者柳井が業務上の命令又は指示に違反したとも直ちにはいえないから、結局右の点については、債権者柳井には債務者主張の懲戒事由はないというべきである。

2 次に、債権者柳井は、本件降職処分が懲戒権の濫用に該当する旨主張するので、以下この点につき検討する。

本件降職処分は、前記のとおり懲戒解雇に準ずる相当重い処分であると認められるところ、債権者柳井の本件懲戒事由は個々的にみれば、降職処分に価するほどの重大かつ悪質なものとは認められず、またこれを全体的にみても確かに同債権者の勤務態度は必ずしも良好ではなく反省すべき点が多々あることは否定しえないが、だからといつて直ちに債務者学園の数学担当教諭としての適格を欠くと言いうるまでのものとは思われないことなどに鑑みれば、債権者柳井に対する本件降職処分は苛酷にすぎ社会通念上相当として是認できないものというべきであるから懲戒権の濫用として無効というほかはない。

3 賃金請求権について

債権者柳井に対する本件降職処分が無効である以上、同債権者は、昭和五七年四月一日以降もなお債務者の教諭としての地位を有するものであるから、債務者に対し、教諭として得べき賃金と非常勤講師として得た賃金との差額を請求する権利を有するものというべきである。

4 保全の必要性について

(一) 債務者が債権者柳井を昭和五七年四月一日以降非常勤講師として取り扱つていること、非常勤講師の賃金が時間給(一時限あたり一八〇〇円)であり、契約期間が一年であることは当事者間に争いがなく、疎明資料によれば、債権者柳井が、主として債務者から受ける賃金によつてその生計を維持していたこと、同債権者が昭和五七年三月に得た賃金は、本俸一五万二三〇〇円及び諸手当三万八一九二円合計一九万〇四九二円であつたことが認められる。

以上の事実関係からすると、本件申請のうち、本件降職処分の効力を停止することを求める申請については、仮処分の必要性があるというべきである。

(二) 次に、本件申請のうち、金員仮払いを求める申請について検討する。

ところで、賃金等の仮払いを命ずる仮処分の目的は、本来労働者が処分を受けたことにより従来得ていた収入が途絶又は減少し、これがために本案訴訟の確定によつて地位の回復を待つことができないほど生活が逼迫した場合等に、これを回避するに必要な限度の金額の仮払いを得させることにあり、労働者に対し他の従業員と同等の生活を保障することにあるものではない。

これを本件についてみるに、債権者柳井が、非常勤講師として昭和五七年四月から昭和五八年三月まで毎月本俸八万六四〇〇円及び通勤手当二二〇〇円(ただし、昭和五七年四月は零で、昭和五八年三月は四四〇〇円)を、昭和五八年四月から同年七月まで毎月本俸二万二八〇〇円及び超勤手当二二〇〇円(ただし、昭和五八年四月は零)を、更に一時金として昭和五七年七月に一二万〇九六〇円、同年一二月に一六万四一六〇円、昭和五八年七月に三万一九二〇円合計一四七万八〇四〇円を債務者から支給されたことは当事者間に争いがない。

また、疎明資料によれば、債権者柳井は、同岡、同草野、同中村ほか三名とともに昭和五七年五月に開設された学習塾「修学館」(「太田修学館」「木太修学館」「栗林修学館」「国分寺修学館」「飯田修学館(昭和五七年三月廃校)」「紫雲修学館(昭和五七年六月開設)」がある。)の講師を勤め、毎月三万円ないし五万円の収入をえているほか、債権者柳井の妻のアルバイト料その他の収入もあることが認められる。

してみれば、債権者柳井の現在の収入は、十分とはいえないにせよ、本件請求金額の仮払いを今直ちに受けなければ、同債権者及びその家族の生活が困窮を来たし、著しい損害をこうむるとまでは認められず、その他本件記録に顕われた一切の事情を考慮しても、本件金員の仮払いの必要性を認めることはできない。

三  結論

以上の次第で、債権者岡、同草野及び同中村の本件各申請は被保全権利について、債権者柳井の本件申請のうち金員の仮払いを求める申請は、保全の必要性についてそれぞれ疎明がないというべきであり、保証をもつて疎明に代えることも相当でないからいずれもこれを却下することとし、債権者柳井のその余の申請は理由があるから保証を立てさせないでこれを認容し、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書、九三条一項本文を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 菅浩行 井上郁夫 角隆博)

別紙一の(一)

申請の趣旨

相手方が、申立人岡好幸、同草野晃、同中村益夫、同柳井博に対して、それぞれ昭和五七年三月三一日付でなした、非常勤講師に降職する旨の意思表示の効力を停止する。

との裁判を求める。

申請の理由

一、申立人らは、いずれも相手方法人の経営する香川県大手前高松高等(中)学校(以下高松校という)の教諭として勤務しているものであるところ。

(1) 申立人岡好孝は、昭和四六年三月、早稲田大学社会科学部を卒業し、在学中の教育実習に際して指導を受けた綾歌郡綾南中学校の校長から紹介されて、同年四月、高松校の社会科教諭として赴任し、日本史の教科を担当している。

(2) 申立人草野晃は、昭和五一年三月、広島大学文学部史学科を卒業して、同年四月、高松校の社会科教諭として赴任し、世界史、歴史の教科を担当している。

(3) 申立人中村益夫は、高松校を経て昭和四七年三月神戸外国語大学英米学科を卒業し、母校高松校当時の担任であつた西山寛教諭の慫慂により、翌四八年四月、高松校の英語科教諭として赴任し、英語教科を担当している。

(4) 申立人柳井博は、昭和五一年三月東北大学理学部を卒業して、同年四月、高松校数学科教諭として赴任し、数学教科を担当している。

相手方は、昭和二六年三月一四日設立された学校法人であつて、高松市室新町に高松校を設置している。

二、相手方は、申立人らに対して、昭和五七年三月三一日付をもつて、それぞれ非常勤講師に降職する旨の意思表示をなし、翌四月一日以降非常勤講師として取扱つている。

その理由と称するところは左のとおり。

(1) 申立人岡好孝について。

相手方は、岡好孝に対して、昭和五六年四月三日、勤務時間を従来の午前八時三〇分から午後五時一五分まで(教職員通常の勤務時間)のものを、一五分くりあげて午前八時一五分から午後五時までとすると通告したが、これに従わなかつた。

(2) 申立人草野晃について。

昭和五六年七月、部活顧問の立場を利用して、「NET・IN」と題する冊子を生徒父兄に配布し、かつ、これにより業務上の秘密を洩らし教育方針を批判した。

(3) 申立人中村益夫について。

右岡好孝についての理由と全く同様。

(4) 申立人柳井博について。

昭和五六年一一月二日に年休をとるにあたり、欠講時間のための教材準備を怠たつた。同年一一月一五日(日曜日)の日直当番の際午前九時二〇分頃に遅れて登校した。昭和五七年三月八日、ホームルームの時間に無断で生徒にアンケートを求めた。出勤簿の捺印をしばしば怠つている。「学習指導計画、実施記録」の内容が乱雑、不備であつた。教室が騒がしく生徒管理が不十分である。

三、申立人らは、いずれも昭和五二年九月一〇日高松校教職員により結成された香川県大手前高松高等(中)学校教職員組合(以下組合という)の結成当時からの組合員であり、申立人岡好孝は、昭和五二年度と昭和五五年、五六年度に組合書記長、昭和五四年度には副委員長を勤め、申立人草野晃、同柳井博は執行委員、申立人中村益夫は昭和五四年度書記長を勤めるなどして、それぞれ組合をささえて来ている者であるところ、相手方は、組合を嫌悪、敵視し、ことごとに組合活動を抑圧するとともに、組合員に対してありとあらゆる残忍非道な不利益取扱いを重ねてきているものであり、本件も組合破壊をねらつた処分であつて、その理由と称している事実についても、何ら合理性はない。

(1) 申立人岡好孝、同中村益夫について。

高松校生徒指導部(教員八名による)は、昭和五六年四月当初、当年度の生徒指導の重点を遅刻防止と服装規律におき、指導部全員の輪番制による午前八時一五分出勤体制をとつていたのであるが、高松校校長倉田康男は、これを無視して、指導部のうちの組合員である右申立人両名を指名して午前八時一五分出勤を命じた。しかし、かかる教育現場の実情と教員の自発的指導意欲をないがしろにして教育の実があがるわけがなく、かつ、組合員のみを名指して早朝出勤を強いる校長の真意が、組合員に対する差別扱いにあることは見えすいているので、右申立人らは、これに応ずることができなかつた。しかし、生徒指導は右の輪番制による体制で実施されて来ているのである。

校長としても、教育現場の実情にそぐわず、教員の自発的な意欲をそぐような右命令によつて教育効果をあげえないことは見やすい道理であり、しかも、組合員のみを名指しての命令が、差別的取扱いをする魂胆にもとづくものであることも見えすいているので、右申立人らがこれに従わないであろうことを十分に予測しており、かつ、従わないことを口実にして更に不利益取扱いを拡大しようとたくらんでいたのであつて、本件処分は、まさにたくらみ通りになされたものと云う外はない。

(2) 申立人草野晃について。

バドミントン部の顧問として、クラブ活動の指導をするとともに、「NET・IN」と題する部誌をかねてから発刊して、部員等に配布していたが、その第七号(一九八一年七月発刊)で、校長がクラブ活動を制約する方針を新たに打出して来たこととこれに対する部顧問の立場からの意見を掲載したことをとらえて、降格の理由としているのであつて、常軌を逸することもはなはだしい。洩らすべからざる業務上の秘密が記載してあるわけでなく、また、校長のクラブ活動に対する一定の方針(それが真実教育の方針としての価値を持ちうるか否かはさておき)について一切の批判が禁止されなければならない合理的理由はない。しかも、右の方針にはバドミントン部としても従つているのであるから、なおさらのことである。

(3) 申立人柳井博について。

(イ) 年休をとつた一一月二日(月)に申立人の担当している授業は、高校一年四組の一時限と高校三年五組の一時限であつたが、一年四組についてはテスト用プリントを作成して事前に教頭に提出し、三年五組については、私大受験クラスであり数学を受験に必要としない生徒が多く、かつ、大学入試も近いところから、生徒各自の課題をそれぞれ自習するよう指示してある旨を教頭に報告していたのであるが、教頭らはいたずらにプリント(数学)を作成して実施させるように云いつのるばかりであつた。教育にたずさわる現場教師の実情をふまえた指導方針に無定見に介入することはつつしむべきであるばかりか、学園側の意向を体して申立人にひたすらいやがらせをする態度が見えすいているので、これに応じなかつたまでである。

従つて、申立人が欠講時間のための教育配慮を怠つたと非難される理由はない。

(ロ) 日曜日直については、従来から午前九時前後に登校する慣行となつていたので、申立人も午前九時頃登校して、音楽部室(音楽部顧問である)で楽符整理を行ない、同一〇分頃職員室へ出向いたのであつて、相手方の非難はためにするもの以外の何ものでもない。

(ハ) 申立人は、高校一年二組の副担任であつたところ、主担任の福家との間で、学級運営の基礎資料を収集するためにクラスの生徒からアンケートを取ろうという相談がまとまり、これを伝え聞いた他クラスの担任からも一緒にやつてほしいとの申し出があつたので、申立人がその原案を作成して、ホームルームの時間にアンケートを実施したのである。まさに、教育に真摯に取り組んでいるかかる自発的、意欲的な教育活動をして無断でなされたと称して非難し、かつ、教育内容にまで干渉しようとする校長の姿勢には、教育の本義をかえりみず教育基本法(特に第一〇条)を遵守する精神の一片もなく、ひたすら組合員である申立人らを誹謗中傷する口実さがしのみにやつきになつているものとしか云いようがない。誠に遺憾なことである。

(ニ) 申立人は、出勤簿の捺印にしても、「学習指導計画、実施記録」にしても、通常行なわれている程度の方法、内容で行なつているのであつて、これらについて特別支障をきたしたこともなければ、校長等から注意されたこともない。

(ホ) クラスによつては騒ぐ生徒がいる場合もないわけではないが、通常見られる現象であり、このことをもつて、本件のごとき残虐な処分の事由とすること自体不合理であるばかりか陰惨ですらある。なお、生徒は管理するものではなく、精神の共感を通わせあうなかでの学習と指導を創造的総合的に行なうものである。生徒を管理の対象とみなすが如き学園の教育姿勢にはうそ寒さを感ずる。

四、申立人らは、非常勤講師として取扱われていることにより、授業持時間数(週単位)を極端に削減され、その他の教育実践の面でも大巾に制約されて、教師としての働く喜び誇りを著しく傷つけられているばかりにとどまらず、賃金についても完全な時間給(授業一時限あたり一、八〇〇円)とされているために、申立人らの得ている賃金は左記のとおりとなつており、生活不可能の人権侵害にも等しい内容のものとされている。

さらにいえば、非常勤講師については、契約期間を一年とする取扱いがなされているため、昭和五八年三月末日限り、契約期間終了を口実に事実上の解雇を予告されているも同然の状況におかれている。

(1) 申立人ら各自の時間給月額(一月四週の割合により算出している)

(2) ちなみに、申立人らの昭和五六年三月に得た賃金を示せば次のとおり

申立人

本給

諸手当

合計額

岡好孝

一九三、四〇〇円

四一、八三六円

二三五、二三六円

草野晃

一五二、三〇〇円

二二、四九二円

一七四、七九二円

中村益夫

一七一、六〇〇円

二九、〇六四円

二〇〇、六六四円

柳井博

一五二、三〇〇円

三八、一九二円

一九〇、四九二円

(3) さらに、申立人が従前どおり教諭として取扱われておれば昭和五七年度一年間に得べき賃金総額(昇給分を含む)は、次のとおりとなるべきところである。

申立人

賃金月額

年間一時金額

賃金総額

岡好孝

二四三、六四四円

一、〇九七、〇〇五円

四、〇二〇、七三三円

草野晃

一八一、八四八円

八二二、〇三四円

三、〇〇四、二一〇円

中村益夫

二〇八、一三六円

九三五、七二五円

三、四三三、三五七円

柳井博

一九七、五四八円

八八〇、九三四円

三、二五一、五一〇円

五、以上のとおり、本件降職処分は、処分権乱用であり、また、不当労働行為であつて、無効であるところ、申立人らが非常勤講師として取扱われることにより回復し難い甚大な損害を受けているので、本件仮処分申請に及ぶ。

別紙一の(二)

一、申請の趣旨を次のとおり追加する。

相手方は、申立人等をそれぞれ教諭として取扱い、かつ、

(1) 申立人岡好孝に対し金四、三五九、一七五円、

(2) 申立人草野晃に対し金二、九二三、一〇六円、

(3) 申立人中村益夫に対し金四、〇二六、六四六円、

(4) 申立人柳井博に対し金二、九三二、一九七円

をそれぞれ支払え。

二、申立人等は、それぞれ教諭として取扱われるべきところ、教諭として得べき給与等の額と、不当にも非常勤講師として取扱われているために、現実に支給されている額とを対比すれば、別紙一覧表のとおりであり、昭和五七年四月から昭和五八年七月までの間の差額合計は、申立人それぞれにつき、第一項記載の金額となつているので、この支払いを求めるものである。

(一覧表省略)

別紙二の(一)

第一申請の趣旨に対する答弁

本件申請を却下する。

との裁判を求める。

第二申請の理由に対する答弁

一 申請の理由一項は、次の点を除き、認める。すなわち、申立人中村が卒業したのは神戸市外国語大学であり、同人が高松校に赴任したのは、西山の慫慂によるものではない。

二 申請の理由二項中、申立人らに対してその主張に係る降職の各意思表示がなされ、取扱がなされていることは認める。

右各降職処分の理由ならびに就業規則上の根拠は、左記のとおりであり、申立人らには、右理由に該当する事実が存するものである。

(1) 申立人岡について

(理由)

被申立人(以下学園という)は昭和五六年四月三日、就業規則第一五条により、同人の昭和五六年度勤務時間について、始業時刻を午前八時一五分に、また終業時刻を午後五時に変更する旨同人に通知した。

右変更は毎朝登校時の生徒指導上必要との見地から指導係としての同人について行つたものである。

しかるに同人は正当な理由もなく、右指定の時刻に登校せず連日遅刻した。

そこで学園は同人に昭和五六年五月一日、並びに同年五月六日指定の時間に勤務するようにと注意したが同人は故意に、右業務命令を無視し遅刻し続けた。

右は就業規則第一四条第五号の違反であるので、学園は同規則第六八条第五号並びに同条第九号の規定により、同人を昭和五六年八月五日より同月一〇日まで出勤停止処分にした。

しかるに同人は、昭和五六年度末に至るまで故意に右業務命令を無視し遅刻し続けた。

(就業規則上の根拠)

第三条、第一〇条、第一一条、第一二条、第一四条第五号、第六八条第五号、第九号並びに同条第一〇号

(2) 申立人草野について

(理由)

同人は昭和五六年七月高松校部活動顧問の立場を利用して「NET・IN」と称する冊子を、学園に無断で発行し、高松校生徒並びに父兄に配布した。

同人は右冊子において、業務上の秘密を漏らし学園の教育方針を公然と批判し、かつ、学園の信用を傷つけた。

(就業規則上の根拠)

第三条、第一〇条、第一一条、第一四条第二号、同条第九号、同条第一〇号、同条第一二号、第六八条第二号、同条第九号、第六九条第四号、同条第五号、同条第七号、同条第一〇号

(3) 申立人中村について

(1)申立人岡について述べたところと同様であるので、これを援用する。(ただし(1)中、注意の月日が昭和五六年五月一日、同月六日とあるのは、申立人中村については同月一九日である。)

(4) 申立人柳井について

(理由)

高松校では各教科担当者は、年次有給休暇等において、事前に欠講時間用の教材を準備することになつているが、昭和五六年一一月二日、同人は教頭並びに教科主任の指示に対して故意に従わず、当日欠講予定時間のための教材準備を怠つたまま欠勤した。

右の件で同月四日校長が注意した所、同人は「自分の義務ではない。」等と主張し、反抗的態度で、指導にも従おうとしなかつた。

同人はまた、昭和五六年一一月一五日当日日直当番にあたつていた所、所定時刻(午前八時三〇分)より遅れて午前九時二〇分頃登校した。校長が注意すると、「自分はいつもこうしている。」と強調するばかりで、反省の態度を示さなかった。

同人はまた、昭和五七年三月八日当校に無断で約五百枚のアンケート用紙を作成し、他の数名の教員と共に当校生徒に対して、配布しホームルームの時間を利用して生徒をして調査事項を記入せしめて回収した。

右の件につき校長より、同アンケート用紙を直ちに提出するよう命令したが、提出を怠つている。

また同アンケートの内容や使用目的等について説明せよとの校長の指示に対しても「教育の自由」と称して拒否した。

同人はまた学園の再三の指示に反して、出勤簿への捺印をしばしば長期にわたつて怠つた。

同人はまた、学期毎に提出すべき「学習指導計画・実施記録」の提出を怠たり、催促により提出することがあつても、その内容が乱雑かつ不備なままであつた。

また同人の担当する授業では教室内が騒がしく、生徒の管理が不充分である。校長がその旨注意したが、同人は反論に終始して、反省の態度もみられなかつた。

(就業規則上の根拠)

第三条、第一〇条、第一一条、第一二条、第一四条第二号、同条第五号、同条第一二号、第六八条第二号、同条第五号、同条第七号、同条第八号、同条第九号、同条第一〇号、第六九条第七号、同条第一〇号

三 申請の理由三項の冒頭部分中、申立人らが組合結成時からの組合員であることは認めるが、その役員歴等は不知、その余は争う。

(1) 申請の理由三項(1)について

申立人の主張は、事実を歪曲するものであり、争う。

すなわち、従来は、午前八時一五分からの生徒指導は行われていなかつたが、昭和五六年四月三日の職員会議において倉田康男校長は校務分掌表を発表すると同時に、同表で生徒指導部の生活指導係の校内担当と決定された小松、中村、岡、大町の四名中、女性で養護教諭である大町を除いた三名に対し、勤務時間を一五分くりあげ午前八時一五分より八時四〇分まで校門にて登校中の生徒を指導するよう指示命令したものであり、右三名に対する命令がもつぱらこれら三名の職務を考慮してなされたものであり、組合員に対する差別扱いでないことは明白である。

申立人は、倉田校長の四月三日の命令以前に、すでに生徒指導部の輪番制による八時一五分からの出勤体制が決定・実施されていたかの如く主張するが、右主張は虚偽であり事実を歪曲するものである。

倉田校長の命令の出された四月三日より後に開催された生徒指導部会において、申立人岡、中村の両名は、該命令に反対する口実を作ろうと企て、右命令と矛盾する内容の部会独自の輪番制を作成するよう提案し、生徒指導主事その他の、右輪番制が校長の方針に反するとの意見を押し切つて強引に自己らの主張するような輪番制を部会として決定せしめた。

以上に述べたところにより明らかな如く、部会の輪番制なるものは、校長命令の後にこれに反抗する名目を作るため、岡、中村両名が働きかけた結果決定、実施されたものであり、かかる決定が無効であることは言うまでもない(学校教育法施行規則五二条の二、第三項参照。)

なお、右輪番制による八時一五分からの勤務は、右決定後二、三週間位実施されたのみであり、その参加者は、生徒指導部の生活指導係八名のみには限定されていなかつた模様である。

なお、校長命令を受けた三名のうち小松は、昭和五六年四月四日より昭和五七年三月末まで、これを完全に遵守している。

(2) 申請の理由三項(2)は争う。

申立人草野は、かねてより部顧問としてNET・IN発刊・配布していたと主張するが、学園はこれを知らない。もしそうだとすると、問題の七号をも含めて、無断で発行配布して来たものにすぎない。

学園高松校においては、生徒の体育大会出場は、中学より入学し高三まで在学する六年制コースの生徒については高一まで、高一より入学し高三まで在学する三年制コースの生徒については高二まで(ただし大学進学のさいの体育関係専願の生徒は高三まで)の方針をきめていたところ、六年制の高二の女子生徒の大会出場をめぐつて生徒、保護者と学園当局との間でトラブルが生じた。

右トラブルの詳細(父兄、生徒と学園当局との交渉の経緯等も含む。)については、学園内部の適当な場において批判的意見を交換することは別段差し支えないと考えられるものの、申立人草野は、生徒、父兄等に対し、右冊子上において、部顧問の立場を濫用してこれを自己の私的な批判を混じえつつ報道したものであり、しかも、同じ個所で、学園が従来より、前記三年制コースに対比して六年制コースを学園独自の進学に最適なコースとしてこれを重視し対外的にも生徒募集の重点項目として広報して来たことを知り尽しながら、敢えてこの学園の擁護推進せんとしている六年制コースのメリツトが果してあるのか疑問であるとの印象を植えつけるような父母あての文言を掲載し、学園の基本的教育方針を公然と批判し、その信用を傷つけたものである。

右において、トラブルの詳細ならびに校長の命に服すべき部顧問が学園の方針措置につき批判的見解を有すること、を生徒ならびに父兄に公表することは、学園が特定問題の処理につき内部的に必ずしも統一的な方針を確立し得ていないかのような印象ひいては学園のとつた措置が必ずしも根拠のあるものではないかのような印象を対外的に与える点において適当でなく、かかる観点からも右事実は対外的に公表すべき性格のものではなく、その意味において業務上の秘密に属するものと言うべきである。しかも、申立人草野は、右の如き発表を単に私的な立場においてではなく、学園より公認された部顧問の立場において、行つたのであるから、対外的な学園の信用をより強度に損なつたものである。

さらに、申立人草野は、同冊子の他の個所において、丸亀校へ配転となつた稲葉につき「稲葉先生早く戻つてきて下さい」との文言を載せ、配転後の稲葉の氏名を依然名簿上あたかも高松校のバドミントン部の顧問の位置にあるかのように記載して、その配転人事を批判し、これを部顧問の立場を利用して、生徒、父兄等に知らしめた。

(3) (イ) 申請の理由三項(3)(イ)は争う。

高松校においては従前より教員が年休等をとるさい、その日についての自習教材を事前に作成準備させていた。

申立人柳井は昭和五六年一〇月二四日において、一〇月三一日(土曜日で遠足の予定)、一一月二日(月)の年休申請を出したが、一一月二日の自習教材を作成準備していなかつたので、一〇月三〇日吉田教頭より同人に対し作成方を命じたところ、同人は「教材を作成するのは自分の義務ではなく労働強化である。病欠の人は準備しないのでよいのであれば自分も同様であろう。」という趣旨の発言をしてこれを拒否し、教科主任が同様に命じても依然これに応じなかつた。

その後一一月二日においては一年四組の一時限にテストが行われた(したがつて自習用教材が作成された)模様である(但し、右教材が教頭に事前に提出されたか否かは不知)が、三年五組の六時限(申立人は一時限と主張するが正確には六時限)は単に自習が行なわれたに止まり自習教材はついに作成されなかつた。

申立人柳井は三年五組が受験に数学を必要としない者が多いなどと主張するが、右クラスには必要とする者もいるのであり、学園が「現場教師の実情をふまえた指導方針」に無定見に介入したかのように強弁するが、後記(ロ)、(ハ)、(ニ)、(ホ)と同様自己の怠惰、独善を正当化し、また、自己に非があるときもこれをすなおに反省せずことごとくもつともらしく正当化の理由を見つけて抗弁しようとする詭弁にすぎない。

(ロ) 申請の理由三項(3)(ロ)は争う。

高松校においては、日曜日直につき午前九時前後に登校するという慣行は存しない。

当日申立人柳井は所定時刻の午前八時三〇分より遅れて九時二〇分頃登校したが、校長が注意すると反省の態度を示さずむしろこれに反抗する言動をなしたことは前述のとおりである。

通常日曜日直当番は前記所定時刻に登校し、まず給湯室内で機械警備を解除し、職員室に入り、管理棟、教室棟につき校内巡視をなし、職員室に戻り同所にて勤務するという形態をとるものである。

申立人柳井が当日職員室に来る前に音楽部室に行つたか否かは知らぬが、もしそうだとすると、きわめて異常な行動と云うべきである。

(ハ) 申請の理由三項(3)(ハ)は争う。

学園当局の事前の許可なくして生徒を使用してホームルームの時間内に問題のアンケートを行なつたこと自体は、申立人もこれを認めているものと思われる。

この件につき事後的にその内容等の説明を校長より同人に求めたところ、同人は「教育の自由」と称してこれを拒否し続けたものである。

同人の右挙動が特異かつ独善的なものであることは云うまでもない。

(ニ) 申請の理由三項(3)(ニ)は争う。

この点につき申立人は、学園より何回も注意されていたものである。

(ホ) 申請の理由三項(3)(ホ)は争う。

四 申請の理由四項冒頭部分は、申立人らの授業週持時間数が同四項(1)記載のものとなつたこと、賃金が時間給(一時限あたり一八〇〇円)であること、非常勤講師の契約期間が一年であることのみを認め、その余は争う。

(1) 申請の理由四項(1)は、申立人岡の月額が三万八四〇〇円ではなく、四万三二〇〇円である点を除き認める。

なお、申立人らの一か月の持時間数は、岡が二四時間、草野が三二時間、中村が一二時間、柳井が四八時間となり、又、後記(2)の昭和五七年三月の支給額の諸手当中に含まれている岡五〇〇〇円、草野五〇〇〇円、中村六三〇〇円、柳井二〇〇〇円の交通費は、昭和五七年四月以降も、そのまま申立人ら四名に、時事給月額以外に、支払われている。さらに申立人ら四名には、右月額の一・四か月分の期末手当が昭和五七年七月五日支給されている。

(2) 申請の理由四項(2)は、昭和五六年ではなく昭和五七年の三月の額として、これを認める。

なお、同所に諸手当とあるものの中に、前記(1)の申立人四名に対する交通費、柳井に対する住宅手当三〇〇〇円も含まれている。

(3) 申請の理由四項(3)は、申立人らの計算の前提の詳細が不明のため、正確な認否ができないが、次の仮定の下においては、ほぼ計算自体としては、そのような数字となることは認める。

(イ) 昇給月が昭和五七年四月(申立人らがこのような立場をとつているものと推定したものであつて、学園は、これを認めるものではなく、岡、中村、柳井については昭和五七年五月、草野については同年七月が、本件処分なかりせば本来昇給していた月である。)

(ロ) ボーナス平均支給率年間四・九月(期末三・六月、勤勉一・三月。ただし前年度の実績によると仮定したもの)

別紙二の(二)

第一申立人昭和五八年七月二七日付準備書面(以下「申準」)について

一 申準一項の申請の趣旨の拡張部分については、申請を却下するとの裁判を求める。

二 申準二項については、追つて答弁する。

第二申立人ら四名の金銭支払請求について

一 申立人ら昭和五八年七月二七日付準備書面二項についての認否

(被申立人は、その申立人らに対する各降職処分はいずれも理由があり、有効であるので、そもそも申立人らには右記載の如き金銭支払請求権はないものと考えるが、かりに何らかの理由で右処分が効力を有しないと判断される場合に、予備的に認否する。)

右書面別紙一覧表については、後記の留保付で、本書面末尾一覧表のとおり(赤字で訂正されたものは、その限度で否認し、被申立人は当該個所が赤字記載のとおりであると主張し、訂正されないものは申立人主張どおり認める。)である。

なお、一覧表中、aか月とは期末手当のことと思われるが、aか月として申立人が数字(一・四、一・九、〇・三)をあげているのはあくまでも源資としてのそれであり、具体的個人の期末手当はこの数字に期間率を乗じたものであり、これは個人毎に変動し得るものである。又bか月とは勤勉手当のことと思われるが、bか月として申立人が数字(〇・五、〇・六、〇・二)をあげているのはあくまで源資としてのそれであり、具体的個人の勤勉手当はこれに期間率および成績率を乗じたものであり、これらは各個人毎に変動し得るものである。したがつて、申立人らの計算が正しいとするためには、期末手当につき期間率が一、勤勉手当につき期間率と成績率を乗じたものが一という条件を満たしたときに限られるが、申立人らがこれらの条件を充したであろうという保証は何ら存しない。

さらに、申立人らは減給処分によるマイナス分も算入して請求しているようであるが、万が一、申立人らの請求が認められるなら、減給処分が争点となつていない本件にあつては、減給額は教諭として得べかりし給与額に比例して増大したものが、給与額より控除されることになるというのが理の当然であると思われる。

二 かりに、右一のいわゆる差額が何らかの程度で認められたとしても、申立人らは現在、学習塾を経営して講師として働いており、申立人岡、同草野において月収各約二三万円ずつ、申立人中村、同柳井において月収各約三〇万円ずつを得ているものであり、右学習塾の経営、授業準備のためには、本校の教諭として勤務しているとすれば拘束されるであろう時間帯(午前八時三〇分より午後五時一五分まで)の全部又は大部分を費やしていると考えられる。

右の結果として、申立人らは学習塾経営等による月収を得ているものであるから、右月収は損益相殺により、申立人らの請求金額より控除されるべきである(疎乙第四八号証)。

三 又、申立人らは、降職後の非常勤講師としての収入に加えて、右二の月収を得ているものであり、いずれも当面その生活に支障を来たすおそれがないから、申立人ら四名の金銭支払請求は、保全の必要性を欠き、却下されるべきである(疎乙第四八号証)。

(一覧表省略)

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